駒形神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》国常立尊,大日貴尊,国狭槌尊,吾勝天忍穂耳尊,彦火火出見尊,置瀬尊
御由緒
駒形神社は第12代景行天皇40年、日本武尊東夷征討の折、当地駒ヶ嶽山頂に国土安寧と民心安定を祈念し、奥州鎮護の神として勧請し給うとあり、創祀は太古に属するも東夷平定の業漸く進んで、この地方に鎮守府が置かれし頃より神威中央に及び、文徳天皇仁寿元年(851)9月には正五位下を加えられ、清和天皇の貞観4年(862)6月従四位下に昇り、延喜式にも列せられた東北地方における第一の名社である。 当社里宮については、奥羽観蹟聞考誌によれば、奥宮の鎮座地は、高山険阻にて初冬より雪積もりて、翌年春まで参道を埋め、殊に女人禁制の霊山なれば老少婦人の参詣心にまかせず、里人これを憂いて山麓に一社を建て拝するため奉斉とある。封内風土記、奥宮の次に「其ノ二、里ノ御堂ト号ス。山上婦人ノ登拝ヲ禁ズ。故ニ堂ヲ山麓ニ建テ、婦人之ヲ拝使ム。」 終戦前は国幣小社駒形神社境外末社の指定を受く。