天照御祖神社の基本情報
詳細情報
御由緒
寛文五年(1665)南部藩士奥寺八左衛門定恒、主君南部大膳太夫重信公の代にあって、和賀の郡を開拓に着手の際、伊勢国皇太神宮に祈誓し、以来幾多の困苦に耐え、延宝六年(1678)九月功を遂げ、依って伊勢の皇太神宮の分霊を勧請し、延宝七年(1679)に江釣子村全明寺境内に御神体を奉戴し御社を建立す。 その後、元禄二年(1689)八月十六日に村崎野開拓地内草高六石余の所を新社に遷宮し、天照皇大神宮を祀る。更に八景山に模擬し末社八社の神殿を建立し、奥寺新田八千石余の氏子の総鎮守となす。南部藩神明社一の宮となり、御祭礼には南部藩より御供米、春・秋二駄ずつ御蔵米を下賜せられたり。明治維新の際、江刺県より御祭礼米が下賜される。 明治三年(1870)当社を以て和賀の郡の総社たるべく旨同県より御達あり。