しわいなりじんじゃ

志和稲荷神社


岩手県紫波郡紫波町升沢字前平17番地
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

志和稲荷神社の基本情報



名称
志和稲荷神社
かな
しわいなりじんじゃ

詳細情報

名称
志和稲荷神社
かな
しわいなりじんじゃ
都道府県
岩手
住所
岩手県紫波郡紫波町升沢字前平17番地
行き方
情報募集中
御朱印
あり
御朱印帳
あり
歴史
歴史[編集] 天喜5年(1057年)、源頼義が安倍頼時、貞任父子追討(前九年の役)の為に陣ヶ岡に布陣した際に戦勝を祈願して京の伏見稲荷神社から分霊を勧請して創祀したと伝え、その後藤原氏の一族で斯波郡を領した樋爪俊衡等が再建したとも[1]、文治5年(1189年)の奥州合戦に際して源頼朝が再建したともいう[2]。また、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}大同年間(806年 - 810年)の創建とする伝承もあり[要出典]、更に建武2年(1335年)に奥州総大将として斯波郡に下向した斯波家長が...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》宇迦之御魂大神,猿田彦大神,大宮能売大神
御由緒
天喜5年(1057)源頼義・義家が安倍氏一族の征討のため下向され、志和陣ヶ岡に滞陣中、祈願のために勧請され、その後藤原秀衡菅領のとき藤原氏の一族樋爪俊衡、同季衡が再建され、その後正平年間(1346~1470)足利氏の一族斯波家長が志和城主のとき社殿新築、その後は斯波氏累代の崇敬厚く、七代栓直の代に再建せられた。 ついで、天正16年(1588)斯波氏に代わって南部氏の領となり、南部氏代々の祈願所として歳々に直拝され、社領奉納普請を重ねられた外、盛岡から五里の間「志和稲荷街道」の参道をも開かれた。
引用元情報
「志和稲荷神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%97%E5%92%8C%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=86942438
概要
志和稲荷神社(しわいなりじんじゃ)は、岩手県紫波郡紫波町升沢部落の西部山麓、滝名川左岸に鎮座する神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 地元では日本三大稲荷 や日本五大稲荷の一つとされることがある。 すぐ近くには別に志和古稲荷神社も鎮座する。

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