志和八幡宮の基本情報
詳細情報
御由緒
清和天皇の貞観4年(863)8月、山城国男山八幡宮を勧請されたと伝えられている 八幡宮は源氏累世の氏神にして康平5年(1062)鎮守府将軍源頼義朝臣長男八幡太郎義家が、奥賊誅伐のため志和の陣を発するにあたり志和八幡宮に戦勝を祈願したところ、白鳩舞い遊ぶを観る。 戦い利あらず苦戦の時、その白鳩再び飛び来たると見るうちに暴風起こりて賊の城中より煙焔立ちのぼりたり。その時閧の声を挙げて攻めたて遂に賊を平定し、義家戦勝報恩感謝のため正月未明に大篝火を焚き上げて戦勝を祝した。 その名残として今日も正月5日御勧日(また五元日ともいう)に社前に大篝火を焚き上げ、未明に盛大に祭典が行われている。 また南部領主の崇敬篤く、慶長年間(1596~1614)南部利直公より祀田四十三石四斗一升の寄進がなされ、その黒印状は紫波町の文化財として指定されている。 明治4年10月には郷社に列せられた。