大野湊神社の基本情報
詳細情報
創建時代
神明社:飛鳥朝時代 佐那武社:神亀四年(727年)
歴史
歴史[編集] 神亀4年(727年)、陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神を拾い上げ、大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に既にあった神明社(祭神・天照大神)の傍らに一祠を建立し勧請したのが始まりとされる。この合祀より大野郷(旧宮腰・現金石町)の湊の守護神として、大野湊神社と称されるようになった。天平元年(729年)に「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を与えられる。延長5年(927年)成立の延喜式神名帳に記載を持つ加賀郡の式内社で、2133ある国幣小社のひとつである。社号は佐那武大宮大明神または佐良嶽(さらだけ)明神。平安末期には大野湊神社という社号は...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主祭神》 離宮八幡宮:護国八幡大神 神明社:天照坐皇大御神 佐那武社:猿田彦大神 《配祀神》 鎮魂八神 瀬織津姫神
御由緒
大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那(さな)が航海中に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山竿林(おおのしょうまさごやまさおのはやし)に存していた神明社の傍らに一祠を建立し勧請したことをその創祀としている延喜式内社(えんぎしきないしゃ)です。 この神明社、即ち天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)を奉斎した社の創立年代は不詳ですが、おそらく飛鳥朝時代であると考えられています。 この猿田彦大神を合祀してより、天平元年(729)には天に達し「佐那武大明神」(さなたけだいみょうじん)の称号を賜りました。 しかし建長4年(1252)社殿が炎上したため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。 歴代朝廷の崇敬篤く度々の造営神宝の御奉納、勅使参向もあり、武将国司の神器社領の寄進がありましたが、一向一揆の乱により社殿の荒廃甚だしかったとされています。 天正14年(1586)加賀藩主前田利家公が任国の際、社殿を再興し、社領を寄進されました。 以降加賀藩主前田家の崇敬篤く、大野庄(現在の金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。 明治5年郷社、同18年県社に昇格、同34年壱千弐百年祭が斎行されました。昭和25年壱千弐百五拾年祭、同41年神社本庁別表神社に加列されました。 平成12年には壱千参百年祭を斎行し、現在でも海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として篤い信仰を集めています。
引用元情報
「大野湊神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%87%8E%E6%B9%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=88716212
概要
大野湊神社(おおのみなとじんじゃ)とは、石川県金沢市に鎮座する猿田彦大神を祭神とする神社である。
行事
例祭[編集] 大祭 8月1日 - 8月3日だったが、現在は8月第一日曜日を最終日とする3日間 神事能 5月15日 - 毎年8月1日から3日間にわたって行われる大祭は、創建当時の場所に仮殿を建てて行われる。
体験
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