大生神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝では、飯富族(オフ:多氏)の大和から常陸への移住の際、氏神として祀られたといわれる[1]。境内周辺には大生古墳群も残っており、オフ一族の奥津城(墓)とされている。 当社の創建年代には、大別して次の2説がある[2]。 当社棟札の由緒書[2] 太古から当地に鎮座。 神護景雲元年(767年)、大和国春日遷幸(鹿島神勧請による春日大社創建[3])。 大同元年(806年)2月11日、当地に遷還。 大同2年(807年)、鹿島に遷幸し跡地(大生)に分霊を奉斎。 東家(鹿島神宮社家)文書[2] 大同元年(806年)11月14日、多神社から遷座し創建。 以上2説から、春日...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「大生神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E7%94%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=76463297
概要
大生神社(おおうじんじゃ、おうじんじゃ)は、茨城県潮来市にある神社。旧社格は郷社。
行事
祭事[編集] 例大祭 (11月15日) 東家(鹿島神宮社家)の文書によると、大同元年11月14日に勅によって大生の神を奉斎したので、11月14日から16日を例祭としているという[1]。現在もこの期間内の15日に行なわれている。また、古くは鹿島神宮から物忌(ものいみ:神宮の斎宮)がこの祭に出輿したとされているが、物忌が境内から出て祭祀する神社は当社のみであった[1]。 祭では、祭儀が古式に則って行なわれたのち、特殊神事の巫女舞神事が奉納される[2]。巫女は氏子中の7歳から13歳の少女から選ばれる[2]。神事は5座または7座舞って終わる簡単なものであるが、古い様式を残すものとして県の無形民俗...Wikipediaで続きを読む