二本松寺の基本情報
詳細情報
文化財
○木造薬師如来坐像(附木造両脇侍立像) 茨城県指定文化財 ○古什器 潮来市指定文化財 ○天然記念物 二本松寺の槇 潮来市指定文化財 ○ 十二神将 潮来市指定文化財
御由緒
二本松寺は、天台宗羽黒山覚城院二本松寺と号し、本尊は秘仏薬師如来である。 平安時代の初め天長年間(824)、慈覚大師円仁によって現在の潮来市茂木に創建されたと伝えられている。鎌倉時代建久2年(1191)、嶋崎氏初代左衛門尉高幹公が嶋崎城築城の際、京都・比叡山を模して鬼門除けとする為、1ヘクタールの敷地を寄進、現在の地に移転開山した。この時、境内を城郭とし、嶋崎城の砦の役割をもたせている。 爾来、400年、嶋崎氏代々の祈願寺として栄え、天正19年(1591)滅亡後も、佐竹氏、水戸徳川氏の信仰を得、歴代城主尊崇により、末寺25ヶ寺を統轄する本寺として隆盛を極めた。この間、室町時代中興第一世静海上人(1457歿)は、当地を修行道場の霊地と定め、多くの青年僧の養成に努めている。江戸時代第11世光温上人は、寛文3年(1663)、書写仏を奉祀建立し、修験道と病気平癒を念ずる書写仏信仰を広めた。 元禄4年(1691)、水戸光圀公は本堂と紅葉の聖経を寄進し、14石余の寺領と1万石の格式を与え、安永3年(1774)には、檀頭大崎治郎兵衛氏が、更に寺領を寄進して、寺観も整った。 幕末から明治中期にかけて、神仏分離、無住と相俟って、寺運の衰退も余儀なくされ、苦難の時代を迎える。