孝顕寺の基本情報
詳細情報
御由緒
孝顕寺は、天女山永正禅林泰陽院孝顕寺と称する曹洞宗の寺院です。 永正十二(一五一五)年、結城城西側の玉岡の地に結城家十五代政朝によって独峰曇聚を開山として建立され当初は永正寺と称しました。 その後、十七代晴朝が弁天島(立町)の地を寄進し、十八代秀康(徳川家康の二男)によって現在の孝顕寺が建立され、政朝の法名が「永正寺殿宗明孝顕大居士」であることから孝顕寺と改称されました。 また、元禄十三(一七〇〇)年に結城藩主となった水野氏も本寺を菩提寺とし、境内には幕末の藩主 水野勝知の墓があります。 なお、境内の西側には、秀康が城の西側に新たに新城下町を建設した際に周囲にめぐらせた御朱印堀の一部が残されています。 (案内看板より)