鹿島神宮の基本情報
詳細情報
公開時間
参拝:24時間 授与所・御祈祷受付:8:30〜16:30
御朱印
あり右に武甕槌大神 和魂と書かれた加島神宮の御朱印
文化財
直刀黒漆平文大刀拵(国宝) 本殿、摂社奥宮本殿、楼門、仮殿(国指定重要文化財)
歴史
目次 1 歴史 1.1 創建・伝承 1.2 概史 1.2.1 飛鳥時代 1.2.2 奈良時代 1.2.3 平安時代 1.2.4 鎌倉時代から江戸時代 1.2.5 明治以降 1.3 神階 1.4 神職 1.5 社領 1.6 社殿造営 歴史[編集] 創建・伝承[編集] 創建について、鹿島神宮の由緒『鹿島宮社例伝記』(鎌倉時代)や古文書(応永32年(1425年)の目安)では神武天皇元年に初めて宮柱を建てたといい[1]、神宮側ではこの神武天皇元年を創建年としている[2]。 一方『常陸国風土記』[原 1]にも神宮の由緒が記載されており、「香島の天の大神」が高天原より香島の宮に降...Wikipediaで続きを読む
御由緒
鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、日本の建国に挺身されました。 鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使が頻繁に派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世~近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになります。 現在の社殿は徳川第二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。 鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使である勅使が派遣される勅祭となり、さらにそのうち2回に1回、すなわち12年に一度の午年には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます。
引用元情報
「鹿島神宮」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=88388965
概要
鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社。式内社(名神大社)、常陸国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに東国三社の一社。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。
行事
祭事[編集] 式年祭[編集] 式年大祭として、御船祭(みふねさい)が12年に1度の午年に行われる[1]。御船祭は応神天皇の時代に祭典化されたと伝えられ[2]、神宮における最大の祭典とされている[3]。祭は戦国時代に中絶したが、明治3年(1870年)に再興された[4][5]。 祭事の流れは次の通り[3][2]。 9月1日午前、天皇から遣わされる勅使の参向を仰いで例大祭を執行。 2日早朝、鹿島神宮を進発した神輿は陸路を北浦湖岸の大船津に到着。大船津で神輿が龍頭の飾り等を施した御座船(ござぶね)に載せられ、多くの供奉船を従えて水上渡御し、香取市加藤洲に至る。そこで香取神宮の御迎祭を受けた後、...Wikipediaで続きを読む
体験
祈祷おみくじお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印博物館お守り国宝重要文化財祭り札所・七福神巡り一の宮伝説