加波山三枝祇神社本宮の基本情報
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歴史
目次 1 由緒 1.1 沿革 1.2 近世の加波山権現 1.3 神仏分離以降 由緒[編集] 沿革[編集] 社伝に、景行天皇41年、日本武尊が東夷を平定するに際して加波山に登拝、神託により社殿を建てたのが創祀とも[1]、茨城国造であった三枝部連がその祖神を祀ったものであるともいわれ[2]、また神護景雲(768年)10月に黄泉国から伊弉冊命以下11柱が顕現し、大同年中(9世紀初)に徳一和尚が登拝して薬師・弥陀・釈迦の3尊を本地仏と定めて崇めたともいう[3]。加波山権現は貞観17年(876年)に従五位下を授けられた国史見在社の常陸国三枝祇神に比定され[4]、社伝によれば天慶2年(...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》伊弉冊命,速玉男命,事解男命,《配》八百万神
引用元情報
「加波山三枝祇神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8A%A0%E6%B3%A2%E5%B1%B1%E4%B8%89%E6%9E%9D%E7%A5%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=79452688
概要
加波山三枝祇神社(かばさんさえなづみじんじゃ)は、茨城県桜川市の加波山山頂に鎮座する加波山三枝祇神社本宮(本宮)と三枝祇神社親宮(親宮)の通称。総花式に加波山三枝祇神社本宮親宮、または単に加波山神社本宮(親宮)、加波山本宮(親宮)ともいう。 登記名は「加波山三枝祗神社本宮」(「祇」ではなく「祗」)になっている。