愛宕神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 『常陸国風土記』に見える、箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)が夜刀神を祀った社の後身であるという。風土記には「椎井(しひゐ)の池」が付近にあったとするが、社前の清水が湧出する「天龍の御手洗」がかつての「椎井」であるという。夜刀神は蛇体で頭に角を有つといい、「夜刀(やつ、やと)」は関東地方の方言で谷間、谷合を意味する「谷地(やち)」「谷津(やつ)」「谷頭(やと)」に由来し、また現に霞ヶ浦周辺の谷間の湿地には蝮などの蛇類も多いため、夜刀神は土地神としての蛇神であると見られている。 かつては現在地の南200m程隔たった台地の縁辺、字滝の入に鎮座していたというが、享禄2年(1...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「愛宕神社 (行方市玉造甲)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%84%9B%E5%AE%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E8%A1%8C%E6%96%B9%E5%B8%82%E7%8E%89%E9%80%A0%E7%94%B2)&oldid=84783164
概要
愛宕神社(あたごじんじゃ)は、茨城県行方市玉造甲にある神社。旧社格は村社。 『常陸国風土記』に記載される夜刀神を祀る社を濫觴とすると伝える神社である。鎮座地は霞ヶ浦の東方、2つの台地の谷間を2キロメートル (km) 程入った最奥部にある湧泉(「天龍の御手洗」)の後背台地の森中に位置する。