高山寺の基本情報
詳細情報
御由緒
高山寺の旧境内は、現在地から南東約3kmにそびえる弘浪山(標高520m)の山中にありました。 天平宝字五年(761)、法道仙人が弘浪山において十一面観音菩薩を感得し、堂宇を建立したのが開基と伝わります。 その後の仁平三年(1153)の兵火で焼失しましたが、文治五年(1189)に源頼朝の命を受けた重源聖人によって中興されました。当時は山麓に十一の末寺を構え、後鳥羽天皇勅願所ともなりましたが、南北朝時代以降は荻野氏などによって城壁とされ、相次ぐ戦乱によって寺門は再び荒廃しました。 慶長五年(1600)に日向国の僧・開長上人によって再興され、境内の基盤が整い、内尾神社別当職として隆盛を迎えます。しかし明治の神仏分離、廃仏毀釈による末寺の荒廃や、台風災害などによって山上での護符が困難となり、昭和三十三年(1958)に本堂、山門、庫裏を現在地へ移築しました。 当寺の十一面観音菩薩は白龍に座したお姿で、三十三年ごとにご開帳されます。