称名寺の基本情報
詳細情報
御由緒
真言宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来です。寺の付近一帯は加古川城跡です。天正五年(1577)加古川城で加古川評定(信長軍と毛利軍が戦うきっかけとなった会議)が行われました。また、糟谷(内善正)武則(12代加古川城主)は、黒田官兵衛の推挙によって羽柴秀吉に仕え、三木合戦においては箕谷ノ上付城(三谷ノ上付城)に布陣して活躍したとされています。 また境内には地人が憐れんで建てた南北朝時代の七人の武者の七騎供養塔があります。これは南北朝時代、出雲守塩治高貞が加古川で追っ手に襲われた際、主君を守ろうと奮死した従臣7名を供養するために建てられたものです。後に塩治高貞は、人形浄瑠璃等の代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩治判官のモデルとして取り上げられ、忠義話として紹介されます。 山門を入るといちょうの大木があり、このいちょうの木は昔から加古川の町の目印でした。