西向地蔵の基本情報
詳細情報
御由緒
塩屋の浦で明治から大正に掛けて「やんだら」と云う地引網があり、その網にかかり上がってきた地蔵尊である。それ以来地蔵尊は塩屋村字垣の内九百七拾弐番参の東の山裾に西向に安置し以来西向地蔵と云う名で親しまれてきました。また一願地蔵とも云われ一心に願えば真心が届くと云われています。最初は屋根を地蔵尊の頭の上まで造りましたが三度も火災にあい頭上の屋根は焼け落ちたので修験者に拝んで頂くと我は龍神の化神なりよって頭上の屋根は不要との御告げがありそれ以来地蔵尊の頭上の屋根ははして居りません。それまでが西向地蔵尊の謂れ伝説であります。 敷地は兵庫の南條氏の寄付によるものであり大阪の中村知法なる尼僧が地蔵尊横南側に庵を建て、これを祀り尼僧の没後は塩屋村安養寺の住職宇野義夫がこれを引き継いだ。当時西村熊男、中村はな、秋馬とら等がお世話し現在は西村しな、青木てる、西村光枝等がお世話している。