猿田彦神社の基本情報
詳細情報
御由緒
当社は猿田彦の大神を奉斎している。 猿田彦大神は魁の神として常に神々の先頭に立って道案内を務められる神で、天孫降臨の時、皇孫瓊瓊杵尊を天八衢に立ち迎えて云々とあり、災難除けの信仰がある。 即ち海上では船霊神、陸上にあっては交通の守護神として衆庶の尊崇が厚い。 さて当社の創立は詳かではないが口碑によれば、元矢田郡白川村に鎮祭されていたが平清盛福原に都を定め、兵庫築港に際し七日七夜の参篭の後、祈願をこめたるところ難事業に成功したので、後年此の左比江の地に奉遷したと伝えられる。 往古は社殿宏壮にして境域も拡がりしが市街地の発展と共に狭隘となり、殊に先の大戦により戦災を受け、その後都市計画によって現今の社地となった。尚又昭和二十五年現在の社殿を造営し、その当時の日本画家森月城版画家川西英等の絵画で拝殿天井を飾り、更に本殿御扉の左右の羽目板は新谷秀夫の手になる彫刻など一見の価値がある。 明治六年六月村社に列せられたが、戦後は神社本庁所属の神社となった。