圓教寺の基本情報
詳細情報
行き方
JR・山陽電鉄 姫路駅から 神姫バス「書写ロープウェイ行」で終点下車ロープウェイ山上駅から摩尼殿までは、西国三十三観音像を配置した参道を歩いて約1キロ、15~20分の道のりです。 志納所前から摩尼殿の下まで、マイクロバスも運行しています。特別志納金500円で往復ご乗車いただけますので、どうぞご利用ください。
公開時間
8時30分~17時(冬季) 8時30分~18時(春季~秋季、日祭日は延長あり)
御由緒
書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられる。もとは素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、「素盞ノ杣」といわれ、性空入山以前よりその地に祠が祀られていたといわれる。山号の由来はこの「素盞(すさ)」からのものといわれ、姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左(そさ)」も素盞に由来する[15]。創建当初は「書写寺」と称した。仏説において書写山は、釈迦如来による霊鷲山の一握の土で作られたと伝えられ、「書寫山」の字が当てられたのは、その山がまさに霊鷲山を「書き写した」ように似ることによるといわれる[15]。また一つに、その名は、山上の僧が一心に経典を書写する姿に、山麓の人たちが崇敬をもって称したとも伝えられる。 康保3年(966年)性空の57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるとされる。入山して4年目の天禄元年(970年)、天人が書写山内のサクラの霊木を賛嘆礼拝するのを見た性空が、弟子の安鎮に命じて生木のサクラに如意輪観音の像を刻み、その崖に3間四方の堂を建てた。これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建であるという。 性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに講堂(現・大講堂)を建立したとされる。花山法皇以外にも、後白河法皇や後醍醐天皇など多くの皇族が行幸、また勅願により建物の改築・改修、建立が行われている。一遍、一向俊聖、国阿らの時衆聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。 天正6年(1578年)、織田信長より中国地方征伐を命じられた豊臣秀吉が、播磨制圧のため乱入し、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江の長浜に持ち帰った。その後、天正8年(1580年)に、長浜より如意輪観音像だけが戻された。この摩尼殿の本尊は、性空の如意輪観音像と同木同作の如意輪観音であり、性空の生木如意輪観音像は、延徳4年(1492年)の真言堂からの火災により、蓮鏡院、如意輪堂とともに焼失している。
札所
西国三十三所観音霊場第27番札所 播磨西国三十三箇所 播州薬師霊場 神仏霊場会
体験
食事・カフェ重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り
圓教寺へのアクセス
行き方
JR・山陽電鉄 姫路駅から 神姫バス「書写ロープウェイ行」で終点下車ロープウェイ山上駅から摩尼殿までは、西国三十三観音像を配置した参道を歩いて約1キロ、15~20分の道のりです。 志納所前から摩尼殿の下まで、マイクロバスも運行しています。特別志納金500円で往復ご乗車いただけますので、どうぞご利用ください。