清荒神清澄寺の基本情報
詳細情報
アクセス
交通[編集] 清荒神駅(阪急宝塚本線)徒歩20分(駅前より山門まで、店舗と露店が約200軒並ぶ) 年末年始と1月の土日祝日は、宝塚駅・歌劇場前より阪急の臨時バスが参道入口(駐車場)まで運行。パークアンドライドのため。 駐車場:有り。ただし、大晦日から正月三が日と1月の土日祝日は交通規制がしかれ、周辺は車の乗り入れが出来ないので、宝塚駅近辺の駐車場を利用すること。 2009年(平成21年)2月からは、宝塚から清荒神駐車場まで、日曜祝休日に限り6往復運行。
行き方
阪急宝塚線・清荒神駅下車 徒歩約15分 日曜祝日のみ阪急宝塚駅からバスが出ています。「宝塚」→「清荒神清澄寺」 9:35 10:35 11:35 12:35 14:35 15:35 「清荒神清澄寺」→「宝塚」 10:05 11:05 12:05 14:05 15:05 16:05
歴史
歴史[編集] 寛平8年(896年)11月18日に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられた。鎮守神として現在地である西の谷の地に三宝荒神社も建立された。宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を下賜され、最盛期には七堂七十二坊の荘厳な伽藍を誇った。 平安時代末期の治承・寿永の乱や戦国時代の有岡城の戦いに巻き込まれて炎上しているが、三宝荒神社は被害を免れている。 江戸時代の安政年間(1855年 - 1860年)には清澄寺本堂が旧清から現在地に移築され、浄界和上によって清澄寺が再興されて伽藍が整えられた。 1947年(昭和22年)に「三宝三福」の教理に基...Wikipediaで続きを読む
御由緒
清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。 当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。 その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。 浄界和上の諸堂再興に続き、先々代 第37世法主 光浄和上に至り寺運ようやく開け、昭和22年「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげました。
引用元情報
「清荒神清澄寺」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B8%85%E8%8D%92%E7%A5%9E%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA&oldid=87553062
概要
清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は、兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の総本山の寺院。清澄寺の本尊は大日如来だが、境内には三宝荒神社もあってこちらの方が著名である。神仏習合の形態が色濃く残っている。このことから「清荒神清澄寺」の名称がある。摂津国八十八箇所第72番札所。
札所
真言宗十八本山巡拝 摂津国八十八箇所第72番札所 神仏霊場巡礼の道第79番(兵庫第14番) 役行者霊跡札所
体験
祈祷おみくじ御朱印博物館お守り重要文化財札所・七福神巡り
清荒神清澄寺へのアクセス
アクセス
交通[編集] 清荒神駅(阪急宝塚本線)徒歩20分(駅前より山門まで、店舗と露店が約200軒並ぶ) 年末年始と1月の土日祝日は、宝塚駅・歌劇場前より阪急の臨時バスが参道入口(駐車場)まで運行。パークアンドライドのため。 駐車場:有り。ただし、大晦日から正月三が日と1月の土日祝日は交通規制がしかれ、周辺は車の乗り入れが出来ないので、宝塚駅近辺の駐車場を利用すること。 2009年(平成21年)2月からは、宝塚から清荒神駐車場まで、日曜祝休日に限り6往復運行。
行き方
阪急宝塚線・清荒神駅下車 徒歩約15分 日曜祝日のみ阪急宝塚駅からバスが出ています。「宝塚」→「清荒神清澄寺」 9:35 10:35 11:35 12:35 14:35 15:35 「清荒神清澄寺」→「宝塚」 10:05 11:05 12:05 14:05 15:05 16:05