姫金神社の基本情報
詳細情報
御由緒
姫金神社の機嫌は西暦1106年頃、鳥羽天皇の命により玉津姫信仰が起こり、奈良の都に久我大臣の娘玉津姫であられ、豊後国の真野之長者と合代欽明天皇の第四皇子橘豊火と合されましたが、皇子のお言葉は、男の子が生まれれば都にのぼれ、女子が生まれれば真野之長者の後を継げとの言有りて、お生まれになったのは女子でありました。御名を玉世絵姫と申し、般若姫は皇子に逢いたく玉世絵姫を豊後国に残し、一人今の九州臼杵の港より船出されましたが都に登る途中、大潮の大渦に巻かれ海中へと没したとの言い伝えあり、般若姫の母玉津姫は大変お嘆きになられ、我娘を亡くした嘆きは万人にあってはならず又子宝にも恵まれるよう、この嘆きを打ち消すがごとくのちに玉津姫信仰が始まりと言い伝えがあり、御神徳は安産子宝・商売繁盛等々が有名。 又、この信仰を万物の信仰へと、大阪森宮に御鎮座御奉斎しましたが、この森宮も都市開発等に大阪府箕面市に遷座奉斎するも崇敬者が阪神・東播に多く、現在の地に再度正遷座し現在の御社に鎮座致しました。