㯮椒神社の基本情報
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歴史
由緒[編集] 鎮座地は古くから東方の番屋峠を越えたり南方の太田越で神鍋高原方面を経由する等して豊岡盆地へ通じており、奈佐川や稲葉(いなんば)川の水運を利用した但馬国の国府との結び付きが想定され[1]、『延喜典薬寮式』諸国進雑薬条に但馬国から進上する事が定められていた「㯮椒」1斗と当神社との関連も指摘されている[2]。 社伝によれば、白鳳14年(685年)に但馬国国司の榛原公鹿我麿(はいばらのきみかがまろ)が祖である大山守命を祀り、翌朱鳥元年(686年)に当地で収穫した山椒の実を絞って得た油を朝廷へ献上したというが[3]、信憑性には疑問が持たれる[4]。承和9年(842年)に官社に預り[5...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「㯮椒神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E3%AF%AE%E6%A4%92%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=87767663
概要
㯮椒神社(はじかみじんじゃ)は、兵庫県豊岡市竹野町に鎮座する神社。椒集落にある山の頂部に鎮座し、眼下を三椒川が流れる。式内社(名神大社)で、旧社格は村社。神社名を「ほそき」神社と訓じるものもある。