夕張神社の基本情報
詳細情報
アクセス
交通アクセス[編集] 道路 北海道道夕張岩見沢線沿い 夕張インターチェンジ(道東自動車道)から北に約18km バス 夕鉄バス夕張市内線「夕張神社」停留所
文化財
・社名額(市指定・「東郷平八郎直筆の書」昭和4年~9年) ・大盃(市指定・「欅朱塗」昭和初期) ・額(市指定・「登川神社木彫掲」明治27年(推定))
歴史
歴史[編集] 北炭夕張炭鉱の鎮守として北海道炭礦鉄道(北炭)が登川村字社光(現 夕張市社光)に創建した神祠を発祥とする。明治27年(1894年)、北炭社長の高島嘉右衛門が、炭鉱の鬼門に当たる現在地に社殿を設け、出雲大社と大山祇神社からの分祀を受けて登川神社として創建した。 大正11年(1922年)に火災で全ての建物を焼失、翌年に再建して夕張神社に改称した。昭和4年(1929年)に村社に列格し、昭和9年(1934年)に郷社に昇格した。 日本海軍の軽巡洋艦「夕張」は夕張を水源とする夕張川から名前を取ったものであり、当社の分霊が艦内神社に奉斎されていた。大正12年の再建の際に、海軍の東郷平八郎...Wikipediaで続きを読む
御祭神
大山津見神,大國主神,鹿屋野比賣神,菅原道真公
御由緒
明治22年11月18日、北海道炭鉱鉄道株式会社の設立と共に、夕張炭山並び鉄道敷設の安泰祈願の神社として、登川村夕張炭山字社光に神殿を築造せられたことが発祥となり、井上角五郎により伊予一の宮大山祇神社並に島根県出雲大社の御分霊の御奉遷を願い奉斎した。これが御創立の由来で、同会社社長高島嘉衛門の意志により、社光より現在地に神地を求め移転し登川神社と称号。大正11年社殿・社務所外一切を類焼し翌年再建とともに夕張神社と改称した。昭和4年村社、同9年郷社に昇格。この間、軍艦夕張の守護神として神霊を艦内に奉斎すると共に日本海大海戦以降本神社と因縁浅からぬ海軍元帥東郷平八郎閣下より自筆の御神額が奉納された。昭和38年本宗大山祇神社、昭和42年出雲大社より各御神宝が与えられ、昭和46年太宰府天満宮より文祖菅原道真公の御神霊奉斎が許可され10月2日、御奉遷の儀を斎行した。
引用元情報
「夕張神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%95%E5%BC%B5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=72287021
概要
夕張神社(ゆうばりじんじゃ)は、北海道夕張市にある神社である。夕張で最も古い神社であり、「夕張市総鎮守」を称する。
夕張神社へのアクセス
アクセス
交通アクセス[編集] 道路 北海道道夕張岩見沢線沿い 夕張インターチェンジ(道東自動車道)から北に約18km バス 夕鉄バス夕張市内線「夕張神社」停留所