函館護國神社の基本情報
詳細情報
公開時間
9:00~16:30(冬季は~16:00)
歴史
歴史[編集] 1869年(明治2年)5月、箱館戦争が終結すると、新政府軍は同月21日に大森浜で戦死者の招魂祭を行った。そして、室蘭から函館に移送された旧幕府軍捕虜の一部を使役して函館山麓に招魂場を造らせたのがはじまりである[1]。その後「函館招魂社」と呼ばれ、1939年(昭和14年)に函館護国神社に改名および指定護国神社となり、函館連隊区を崇敬区域とした[2]。 第二次大戦後の1946年(昭和21年)、GHQに配慮して名称を「潮見丘神社」に変更したが、1955年(昭和30年)に函館護国神社に戻している[3]。 近年は、縁結びにご利益があると謳っている[4]。 ^ 須藤隆仙『幕末維新戊...Wikipediaで続きを読む
引用元情報
「函館護国神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%87%BD%E9%A4%A8%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=83988264
概要
函館護国神社(はこだてごこくじんじゃ)は、北海道函館市青柳町にある神社。旧指定護国神社。
行事
例祭[編集] 例祭日は当初、6月10日と定められたが、1905年(明治38年)に5月6日へ変更した後、1913年(大正2年)からは現在の5月11日となった[1]。明治初期の例祭は、函館の神社の中で最も賑わった祭であり、麓の蓬莱町遊郭では招魂社競馬も行われていた[2]。 ^ 引用エラー: 無効な タグです。「shishi-3」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ “函館市史通説編第2巻”. 函館市中央図書館. pp. 1360-1362. 2014年7月14日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年5月7日閲覧。