はっさむじんじゃ

発寒神社


北海道札幌市西区発寒11条3丁目1番33
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

発寒神社の基本情報



名称
発寒神社
かな
はっさむじんじゃ

詳細情報

名称
発寒神社
かな
はっさむじんじゃ
都道府県
北海道
住所
北海道札幌市西区発寒11条3丁目1番33
行き方
JR函館本線発寒中央駅下車徒歩3分
御朱印
あり
御朱印帳
あり
歴史
歴史[編集] 記念碑の記述と異なる年代もあるが、参考資料のママとする。 1856年(安政3年)、幕府の命を受けた山岡精次郎らが開拓に訪れ、稲荷社を創建する[1]。 1875年(明治8年)、屯田兵32戸が入植し発展を遂げる[1]。 1898年(明治31年)12月、伊勢大神宮より豊受大神の分霊を受ける[1]。 1899年(明治32年)3月、神社明細帳に記載される[1]。 1903年(明治36年)1月、それまでの石狩国札幌郡発寒村稲荷神社から、発寒神社と改称する[1]。 1932年(昭和7年)11月、二重墳墓が発掘される[2]。 ^ a b c d e 引用エラー: 無効な タ...Wikipediaで続きを読む
御祭神
豊受大神(とようけのおおかみ) 倉稲御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
御由緒
安政3年(1856)蝦夷地開発の幕命を帯て、山岡精次郎主計守以下17名この地に移住、稲荷社を創建して祭祀を篤くし、北辺開明の基をひらく。明治8年(1875)、北海道屯田兵の第1陣として、32戸この地に入植されるや社運愈々興り、明治31年12月宗祖と崇められる伊勢大神宮より、豊受大神の分霊を拝賜、同32年3月神社明細帳に記載。同36年1月北海道石狩国札幌郡発寒村稲荷神社から、発寒神社と改称、北海道庁長官より認可される。尚当境内地に古代遺跡(10世紀前後)の墳墓及環状列石(ストーンサークル)がある。
引用元情報
「発寒神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%99%BA%E5%AF%92%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89446905
概要
発寒神社、發寒神社(はっさむじんじゃ)は、北海道札幌市西区発寒11条3丁目1番33にある神社。道路を挟んだ向かいには札幌市立発寒小学校がある。 祭神は豊受大神(とようけのおおかみ)と倉稲御魂大神(うがのみたまのおおかみ)。 境内には1857年(安政4年)に旗本20人が入植したことを記念した発寒移住記念碑と、1876年(明治9年)に屯田兵32戸が入植したことを記念した発寒屯田兵移住百年記念碑の2つが建っている。 また、境内には復元されたストーンサークルもある。現物の遺跡は10世紀前後のものと推定され、さらにその場所に後代の墓が重複した「二重墳墓」となっていた。
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