上手稲神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 明治5年(1872年)仙台藩白石城主(現在の宮城県)片倉家の家臣であった三木勉ら47戸、241名が、現在の発寒、西町(手稲東)、西野地区に入植した。 後に発寒村から独立して手稲村(旧手稲町)なり、翌7年星置地区を下手稲村とし、他を上手稲村とし、同9年に須佐之男命を祭神に上手稲村の沢地に創建された。同31年(1898年)に天照大神が合祀されている。
御祭神
天照大神(あまてらすおおかみ) 須佐之男命(すさのおのみこと)
御由緒
明治9年、仙台藩よりの開拓者が守護神として、須佐之男命を祭神として、小祠を建立し上手稲神社と称した。同31年、天照大神を合祀する。大正9年、牛馬供養塚を建立する。昭和28年、宗教法人となる。同40年、現在地に遷座する。同51年、御創祀百周年記念大祭斎行する。平成2年、新社務所完成する。同8年、御創祀百二十周年記念大祭斎行する。
引用元情報
「上手稲神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%8A%E6%89%8B%E7%A8%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=86495732
概要
上手稲神社(かみていねじんじゃ)は、北海道札幌市西区西野にある神社である。 山の手通の突当り、西野西端の小山の中腹にひっそりと佇んでいる。昭和50年(1975年)以降、周辺の土地開発が急速に進み、宮丘公園・北一条宮の沢通などが造成されたが、山腹に鎮座しているため、昭和後期の面影を留めている。 本殿は神明造である。