ほんがくじ

広布山 本覚寺


広島県広島市中区十日市町1-4-10
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

広布山 本覚寺の基本情報



名称
広布山 本覚寺
かな
ほんがくじ

詳細情報

名称
広布山 本覚寺
かな
ほんがくじ
都道府県
広島
住所
広島県広島市中区十日市町1-4-10
行き方
本川町電停より徒歩1分 本川町バス停より徒歩1分 JR広島駅よりタクシーにて約10分
御朱印
なし
宗旨・宗派
日蓮宗
山号
広布山
開山・開基
開基 久遠成院日親上人・開山 自性院日朝上人
創建時代
1590年
本堂
鉄筋コンクリート2階建て
歴史
歴史[編集] この節の加筆が望まれています。 現在の安芸高田市から自性院日朝〈慶長6年(1601年)遷化、身延山久遠寺11世の日朝とは別人〉が現在地に移転した。慶応2年(1866年)現存する被爆鳥居が建立された。昭和20年(1945年)8月6日、広島原爆で被災し全壊・全焼した。現在の本堂は平成8年(1996年)、会館は平成16年(2004年)に完成した。(爆心地からはおよそ550メートル
御由緒
Q 本覚寺はいつ、どこに、誰によって開かれたのですか? A 天正18(1590)年9月18日です。現在の安芸高田市(旧高田郡吉田町)に自性院日朝上人によって創建されました。【本覚寺過去帳には紀伊国(和歌山県)から吉田へ移転したと記載されています】 Q 本覚寺はいつ広島に移ったのですか? A 慶長5(1600)年に現在地(旧左官町)に移転しました。毛利輝元による広島城の築城に伴って移動したと伝えられています。その後、基本的に移転することなく現在に至ります。 Q 昭和20年8月6日に原爆が投下された時はどのような様子でしたか? A 当時の住職は第31世の金川龍洸上人でした。奥さんと2人の女の子、お腹の中に胎児がいましたが、全員死亡しました。本覚寺は爆心地から約550メートルに位置していたので全壊・全焼しました。また近隣の本覚寺檀信徒もその多くが亡くなりました。 当時8歳であった吉田(旧姓)友子さんが8月11日、被爆後の本覚寺にやって来たそうですが、 「お寺のお堂、その他の建物など跡形もなくがれきの山で足の踏み場もありませんでした。吉田家のお墓は斜め横に吹き飛ばされ、墓石に大きな亀裂が走っていました。他のお墓も同様でした」 と手記に残されています。その後、第32世の本立院日運上人(渡部正康・中興開山)が入寺し、戦後の復興に尽力しました。 Q 本覚寺にはどんな被爆石造物がありますか? ① 灯篭(とうろう)・・・文化2年(1805)10月の銘文があります。 ② 鳥居(とりい)・・・慶応2(1866)年5月5日の銘文があります。 ③ 香炉(こうろ)・・・明治14(1939)6月の銘文があります。 ④狛犬(こまいぬ)・・・昭和14(1939)年6月の銘文があります。 その他、墓石・石仏などが墓地に点在しています。 Q 現在の伽藍はいつ建立されたのですか? 納骨堂・・・昭和63(1988)年6月に完成しました。 本堂・・・平成8(1996)年7月に完成しました。 会館・・・平成16(2004)年10月に完成しました。
引用元情報
「本覚寺 (広島市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%AC%E8%A6%9A%E5%AF%BA%20(%E5%BA%83%E5%B3%B6%E5%B8%82)&oldid=84051448
概要
本覚寺(ほんがくじ)は、広島県広島市中区十日市町にある日蓮宗の寺院。山号は広布山。旧本山は京都本法寺。
体験
祈祷お宮参り結婚式七五三仏像傾聴食事・カフェお守り祭り人形供養法話

バナー


参拝堂について
2017年4月に公開した神社お寺の投稿サイト「参拝堂」は、お陰様で月間450万ページビューを超え、毎月100万人以上の神社寺院・御朱印ファンが集うサイトになりました。
公式神社も880件を超え、神職様僧侶様にもご愛用いただいております。
「参拝堂」は「100年後にも感謝される事業」という理念を掲げた株式会社●●●●が運営しています。