福山八幡宮の基本情報
詳細情報
御由緒
当地方を「穴の海」と呼ばれていた頃、後に福山城地となった深津島山に2つの八幡宮が奉祀されて いました。 その後天文年中(1532-55)に杉原播磨守が社殿を新に造営、毛利輝元、福島正則等の為政者も信仰 厚く報賽されていたと伝えられています。 元和5年(1619)水野勝成公が備後国主として赴任されるや、新しい居城として福山城を造営される 事となり、2つのお社は夫々延広小路、野上口へと遷されました。 天和3年(1683)第4代藩主水野勝慶公の時、今の松廼尾山に改めて福山総鎮守のお社として本殿、 幣殿、拝殿、随神門、鳥居、惣門など東西に同一規模、同一形式にて並び建てられ、一般に両社八幡 とも呼ばれ、広く崇敬せられてきました。 昭和44年(1969)両社の法人格を合併、社名も旧に復し福山八幡宮とし、神社本庁の別表神社として 新たに発足しました。 (公式ホームページより抜粋)