天別豊姫神社の基本情報
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歴史
歴史[編集] 概史[編集] 古代、当社周辺は「穴海」と呼ばれる入海であったとされ、社伝では、網付谷にあった荒磯岩上に磯神社として鎮座し、のちにその奥の小中山に遷座したとされる[1]。同じ備後国内には、 豊玉姫命の父・豊玉彦命(大綿津見命)を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、夫・蘇羅比古(彦火火出見命)を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があり、当社はその中間に位置する。 国史では、元慶2年(878年)に「天別豊姫神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記されている。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では備後国安那郡に「天別豊姫神社」と記載され、式内社に列している。 建武年間(13...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》豊玉姫命,速進雄命,事代主神《合》吉備津彦命,火之加具土神,
引用元情報
「天別豊姫神社」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A9%E5%88%A5%E8%B1%8A%E5%A7%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=80562423
概要
天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)は、広島県福山市神辺町川北にある神社。式内社で、旧社格は県社。 古くは「神辺大明神(かんなべだいみょうじん)」や「甘濃厳大明神(かんのびだいみょうじん)」とも称されていた。神辺の町並み南方の黄葉山中腹に鎮座し、「神辺」の地名は当社に由来するといわれる。