茂左衛門地蔵尊 千日堂の基本情報
詳細情報
御由緒
綱吉将軍の頃、真田沼田領は重税と飢餓のため領民は大変苦しんでいた。 この惨状を見るに忍びず、一命を捨てる覚悟でたちあがったのが、月夜野の茂左衛門である。 沼田の惨状をしたためた訴状を懐に忍ばせ密かに江戸に上った。 巧妙な方法で直訴に成功し、取り調べの結果、沼田城は破脚の運命となった。 茂左衛門は郷里の現状を見届けに月夜野に戻り、本望を遂げたのを確認すると、妻に別れを告げ自首を決意して江戸に向かおうとした。 が、途中の小袖坂で幕吏に捕らえられ、江戸送りとなり所成敗とされた。 天和2年11月5日、月夜野竹ノ下河原にて磔刑に処せられた。 領民はその死をいたみ、その遺徳を偲んで刑場跡に地蔵尊を建て供養を続けてきた。 大正11年、旧領地をはじめ各地の篤志家からの浄財に依って、茂左衛門を祀る千日堂が建立された。