前橋東照宮の基本情報
詳細情報
行き方
両毛線「前橋駅」より徒歩約25分、車で約7分。 両毛線・上越線・吾妻線「新前橋駅」より徒歩約30分、車で約10分。 前橋インターチェンジより車で約10分。
公開時間
社務所は午前9時~午後5時まで。 境内は開放していますので常時御参拝いただけます。
参拝料
なし(社殿内で正式参拝の場合は初穂料お一人様1,000円)
歴史
歴史[編集] 寛永元年(1624年)、結城秀康の五男である松平直基(結城松平家、松平大和守家)により、最初の領地であった越前勝山 で創建された。同家は「引っ越し大名」と呼ばれたほどに代々転封が相次いだが、それにあわせて同社も移転を続けた。寛延2年(1749年)、松平朝矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を廃棄し、明和4年(1767年)川越城へ移転した(川越藩)。東照宮も移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたものである。以後は代官に前橋を治めさせていたが、慶応3年(1867年)、松平直克が念願の前橋復帰を果たした。東照宮も社殿を解体して前橋に移転をはかったが、幕...Wikipediaで続きを読む
御祭神
《主》徳川家康 《配》木花咲耶姫、菅原道真、長壁姫
御由緒
寛永元年(1624年)、結城秀康の五男である松平直基(結城松平家、松平大和守家)により、最初の領地であった越前勝山 で創建された。同家は「引っ越し大名」と呼ばれたほどに代々転封が相次いだが、それにあわせて同社も移転を続けた。寛延2年(1749年)、松平朝矩が姫路藩から前橋藩に国替えとなったが、水害により前橋城を廃棄し、明和4年(1767年)川越城へ移転した(川越藩)。東照宮も移転し、現在の社殿はこの時期に川越で造営されたものである。以後は代官に前橋を治めさせていたが、慶応3年(1867年)、松平直克が念願の前橋復帰を果たした。東照宮も社殿を解体して前橋に移転をはかったが、幕末の混乱により再建は明治4年(1871年)となった。 江戸時代初期の前橋藩主酒井重忠は天満宮を創建し、酒井氏時代から長く崇敬されていた。これを明治4年に合祀したものである。また、明治31年(1898年)には長壁神社も合祀された。 長壁姫伝説 元姫路藩主でもあった松平朝矩は、姫路城天守閣で長壁姫を祀る長壁神社を奉遷し、前橋城の守護神とすべく城内未申の方角(裏鬼門)に建立した。水害で川越城への移転が決まったところ、朝矩の夢枕に長壁姫が現れ、川越へ神社も移転するように願ったという。しかし朝矩は、水害から城を守れなかったと長壁姫を詰問し、長壁神社をそのままに川越城へ移った。その直後に朝矩が若死にしたのは長壁姫の祟りといわれる。
引用元情報
「前橋東照宮」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%89%8D%E6%A9%8B%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE&oldid=88373185
概要
前橋東照宮(まえばしとうしょうぐう)は、群馬県前橋市に鎮座する神社である。正式名称は「東照宮」。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三食事・カフェ御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ伝説夏詣
前橋東照宮へのアクセス
行き方
両毛線「前橋駅」より徒歩約25分、車で約7分。 両毛線・上越線・吾妻線「新前橋駅」より徒歩約30分、車で約10分。 前橋インターチェンジより車で約10分。