こうとくじ

光徳寺(成田山不動尊)


群馬県高崎市成田町23
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

光徳寺(成田山不動尊)の基本情報



名称
光徳寺(成田山不動尊)
かな
こうとくじ

詳細情報

名称
光徳寺(成田山不動尊)
かな
こうとくじ
都道府県
群馬
住所
群馬県高崎市成田町23
行き方
情報募集中
御朱印
あり
宗旨・宗派
真言宗智山派
山号
成田山
院号
高崎分院
創建時代
天正11年(1582年)
文化財
元威徳寺内陣 高崎市指定重要文化財
御本尊
不動明王
御由緒
成田山光徳寺・竜宝堂の本山は、千葉県の成田山新勝寺で、新勝寺は成田不動尊と呼ばれ、平安時代初期の天慶二年(939年)僧寛朝(かんちょう、真言宗初の大僧正)が平将門の乱のときに、高雄の神護寺に祈願し、乱後一宇を建てたもので、江戸時代中期の元禄年間(1688-1704)照範が中興し本堂を建て、多くの信者を得るようになったという。 また、明治初年、中山道高崎宿本町の境屋旅館の館主後藤安五郎は、成田山新勝寺のあつい信者で、烏川~利根川を舟で半月もかけて参詣を続けていた。 明治十年(1877年)、高崎藩が廃され城跡が陸軍用地となるに及んで、城中西南隅の大河内輝貞の祈願所、威徳寺を買いうけ、当地へ移転し、明治四十年(1907年)六月、北甘楽郡一ノ宮町田島村の天台宗施無畏寺へ合併されるまで、千葉県の成田山新勝寺の末寺であった。合併後現在まで、威徳寺の内陣は光徳寺本堂東に建てられており、市指定の重要文化財となっている。 明治四十五年(1912年)埼玉県児玉郡児玉町より現在の光徳寺を現在地へ移転したという(名目のみとか)。時の住職松本宥海。移転当時、周囲は皆水田、本町二丁目から参道を開削したといわれている。(ぐんまのお寺 真言宗Ⅱより)
札所
北関東三十六不動尊霊場 第五番
体験
御朱印札所・七福神巡り

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