覚応寺の基本情報
詳細情報
御由緒
創建年代は不明であるが、林通によって開山された。林通は鎌倉幕府御家人佐々木盛綱の末裔で、父の祐宝の時に越前国(現・福井県)から関東地方に移住した。林通は関東各地を巡錫し、上野国邑楽郡羽附村(現・群馬県館林市羽附町)に「願成寺」という寺を創建した。これが当寺の起源である。 寛文・延宝年間(1661年 - 1681年)、館林藩城代家老金田正勝が林易(林通の孫)に帰依していたこともあり、正勝の協力で現在地に移転整備され、その際に「覚応寺」に改称した。そして正勝は藩主の徳川綱吉(後の江戸幕府第5代将軍)に頼み込んで、30石石の寺領が当寺に与えられている。 境内には、浮世絵師の北尾重光の墓がある。