法泉寺の基本情報
詳細情報
御由緒
八代将軍足利義政の隠居後、文明16年(1484)義政によって創建されたという。戦国時代になると争乱のため寺は荒廃。慶長年間、館林城主・榊原康政の助力によって再興されたので康政を中興開基とした。寺は繁栄。境内には観音堂・聖天堂・妙見宮・三峯宮などが立ち並んでいた。文化8年(1811)焼失。 境内墓地には榊原康政の兄・清政の子孫の墓がある。清政は家康の長男信康の重臣であったが主君信康が家康の命で切腹。清政は牢人となり弟・康政の館林城内ですごした。寺紋は足利氏の二つ引両紋。