法輪寺の基本情報
詳細情報
御由緒
慶長年間、文福茶釜で有名な茂林寺の正雄和尚の徳を慕い、城の北端付近に住んでいた人々が寺を建て、茂林寺の林をとって法林寺とした。 延宝三年(1675)に現在地に移転、「法輪寺」と改める。 移転のきっかけは、綱吉と母・桂昌院の支援で館林城北部に広大な広済寺(黄檗宗)が建立されたため。 慶応四年(1868)閏四月、斬首された小栗上野介父子の首実験が館林であり、法輪寺に埋葬された。明治二年四月、一周忌に首級を取り戻される。 (城下町・館林お寺&スイーツ・カフェ・ショップお散歩ガイドより)