日鷲神社の基本情報
詳細情報
御由緒
南相馬市小高区女場字明地に鎮座します日鷲神社の御祭神「天日鷲命」は、天孫降臨の際に供奉した三十二神のなかの一神で、天之太玉命を奉じて、弓矢兵杖をいただいて大鷲に跨り、先駆けして天降られた尊い神であります。 平将門公が下総の国に在るとき、特にこの神を尊び、次のように語ったと言われる。「鷲ノ宮は神代より弓矢の神にして鷲は猛鳥なり。我が軍敵国にに入れば則ち神大鷲に現じて我が旗を導く。我が軍をして大利あらしむれば則ち子孫永く守護神となすべし。」 元亨三年(1323)四月、藩主相馬孫五郎重胤公が、総州相馬郡より奥州行方郡に下向された際、鎮守三神として遥幸された。妙見の神官田代左衛門太夫信盛(現相馬市の相馬中村神社)、鷺ノ宮神官西山源太勝友、塩釜神官木幡源内屋直(現南相馬市原町区太田の塩釜神社)、三社の神興を守り、大田邑(現在南相馬市原町区中太田)に下られ、暫く神興を榎塚地内にとどめた後、鷺ノ宮は別所田中に御還りになられた。 貞治三年(1364)、社地を太田邑から女波邑舘内(現南相馬市小高区女場字明地)に遷座した。以来鷺舘と称し、舘前の田園を以て神田とし、これを明地というようになり現在に至る。 歴代藩主は当社を『武運長久の神』として熱く信奉され、戦の度に参詣、戦勝祈願が行われた。先の大戦では出征兵士の武運を祈る参拝者が多く訪れた(日鷲神社略縁起より)