長松院の基本情報
詳細情報
御由緒
万年山と号し、長禄寺の末寺。開基は二階堂山城守行詮の室(三浦平八郎為豊の娘)で、その法名である長松院殿鶴窓昌寿大姉から寺号をとっている。行詮の室は文明七年(1475)二月十三日に没し、麒山禅師を請じて引導され、その縁で牛袋村(須賀川市大字西川字堀底)に一寺を建立し、同禅師を開山とし寺領三十石を附されたという。須賀川城落城まで牛袋村にあったが、落城後蒲生氏郷の妹婿田丸中務少輔直昌が牛袋村から守山へ移し、さらに慶長十八年(1613)相楽三河守の三男孫右衛門貞保が須賀川の現在地(長禄寺の旧地という)へ移したという。