だいこうじ

大光寺


福岡県八女市立花町北山4786
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

大光寺の基本情報



名称
大光寺
かな
だいこうじ

詳細情報

名称
大光寺
かな
だいこうじ
都道府県
福岡
住所
福岡県八女市立花町北山4786
行き方
情報募集中
参拝時間
約15分
参拝料
無料
御朱印
あり
宗旨・宗派
臨済宗妙心寺派
山号
飛形山
開山・開基
日羅上人
創建時代
609年
御本尊
十一面観世音
御由緒
大光寺の創建は、推古天皇の(609)、百済より来朝した日羅上人の開基と伝える。 本尊の十一面観音の他、諸仏も上人の作という。ところが、宝亀5年(774)の落雷で本尊もろとも焼失した。後に行基菩薩が小堂を再建し、本尊も自ら刻んで安置したという。 寛平年間(889-897)、大宰府にいた藤原高房という人は観音信仰が厚く、観音像の造立を思い立って、唐より香木を求めようとしたが、叶わぬままに亡くなった。 その子・黄門侍郎が大宰府近くの海辺で光を放つ香木を見つけ、そこに書かれた文字から父高房が求めていた香木と知って喜び、千手観音像を2体彫らせた。 うち1体は摂州嶋下郡(大阪府茨木市)に一寺を建立して安置した。そしてもう1体を大宰府に持ち帰った。 ところがその尊像は、夜毎に光を放ちながら筑後の方に飛んで行き、また戻って来るので、あるとき黄門が尊像の行き先を追っていくと、そこには中に十一面観音像を祀る一宇の草堂があったという。 黄門は喜び、新しい堂宇を建立し、十一面観音像と自分の千手観音像を一緒に祀ることにした。このような縁から、この観音堂がある山を飛形山とびがたさんと呼ぶようになった。 その後、再び火災があって、堂・尊像ともに焼失したが、唯一焼け残った千手のうちの一手を、後に十時氏が新しく千手観音像を造り、その胎内に納めたという。 宝永3年(1706)谷中の村人たちが誓願を起こして堂を建立し、観音様を山から現在地に移したと伝えられる。 大光寺は、14年ほど前までは、井上宗規尼という尼住職が98歳まで独りで観音堂を守っていたが高齢で山を下り、現在は無住。同じ宗派で、すぐ近くの開運寺の住職が兼務している。 本尊のご開帳は子年で、12年に一度2日間だけという。
札所
筑後三十三箇所観音霊場第31番札所
体験
御朱印札所・七福神巡り

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