西蓮寺の基本情報
詳細情報
行き方
最寄り駅はJR新飯塚・浦田・鯰田駅あたりですが、そこからお寺までは遠く、また公共交通機関なども満足にありませんので、お車でお越しください。駐車場(無料)があります。お寺の周辺の道は狭いので、ご注意下さい。 駅からタクシーをご利用の際は、西蓮寺というお寺の名前だけを告げてもわからないことが多いと思いますので、「住所は庄司68番地、陸上自衛隊飯塚駐屯地の方」と伝えて下さい。
お手洗い
車庫隣に屋外トイレ、本堂横に屋内トイレがあります。
御由緒
1398年頃に天台宗の白雲山薬師寺として建立される(本尊は薬師如来)。1418年頃には村民の信仰が高まり梵鐘が寄付されたと伝わる。1581年頃、キリシタン大名により破却され、時の住職・智仙は本尊安置のため五尺(1.5m)程度の小さな祠のみ再建するも、住職没後(1583~)は無住となる。 約50年後、1633頃に一人の旅の僧・了悦が、薬師如来の荒廃を嘆いて村民と相談し、草庵を結んで給仕(日常のお世話)をしていた。20年ほど経過したある晩(1655頃?)、薬師如来の眉間の白毫(びゃくごう)から一筋の光が放たれ、北東の方角を指したという。了悦は「これは薬師如来の導きだろう」と草庵を他の人に託し、飯塚の地から北東=京都方面へ遊学の旅に出る。諸宗の大本山を学び歩き、最終的に西本願寺の春の彼岸法要の縁に遇い、浄土真宗(本願寺派)に帰依したと言われる。 京都で浄土真宗を学び、故郷に戻って真宗寺院を建立することを願い出た際、本山から『西蓮寺』の寺号(寺の名前)を頂いた他、山号は何にするかを聞かれた際に「私は薬師如来の白毫から放たれた光によって念仏の教えに帰依することができましたので『放光山』と名付けたいと思います」と申し出たため、「放光山 西蓮寺」という名称になった。西蓮寺として建立されたのは1656~1658頃と言われる。よって了悦を初代開基と定めている。 江戸時代西日本一帯を襲った大飢饉(1732の享保の大飢饉か)により寺族が断絶し、無住状態が続くが、その後、1737頃に現在の住職一族が入寺して再興。庄司村内で何度かの寺基移転があったが、概ねこの地で浄土真宗の法灯を伝えつつ、現在に至る。 *2019.02.22に一部加筆訂正を行いました。
西蓮寺へのアクセス
行き方
最寄り駅はJR新飯塚・浦田・鯰田駅あたりですが、そこからお寺までは遠く、また公共交通機関なども満足にありませんので、お車でお越しください。駐車場(無料)があります。お寺の周辺の道は狭いので、ご注意下さい。 駅からタクシーをご利用の際は、西蓮寺というお寺の名前だけを告げてもわからないことが多いと思いますので、「住所は庄司68番地、陸上自衛隊飯塚駐屯地の方」と伝えて下さい。