はちまんじんじゃ

八幡神社


福井県敦賀市三島町1-3-3
併設博物館:9:00~16:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

八幡神社の基本情報



名称
八幡神社
かな
はちまんじんじゃ

詳細情報

名称
八幡神社
かな
はちまんじんじゃ
都道府県
福井
住所
福井県敦賀市三島町1-3-3
行き方
市立病院前バス停より徒歩4分 神楽2丁目バス停より徒歩4分 JR敦賀駅より徒歩20分
公開時間
併設博物館:9:00~16:00
御朱印
あり
御朱印帳
なし
本殿
拝殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、桁行3間、外壁は柱のみの吹き放し(欄間部は真壁造り白漆喰仕上げ)。本殿は一間社流造、銅板葺き
御祭神
《主》誉田別尊,《配》五十日足彦命
御由緒
創立年代不詳。 社伝に「第15代応神天皇が皇太子の時に武内宿祢を従えて、気比神宮に参拝されました折に、浦人が、この地に砂を盛り、地を清めて、行宮を建立いたしました。その後、築地八幡宮、正八幡宮と尊称申し上げた」といいます。 延喜式神名帳の越前国敦賀郡石田神社は「石田君之祖、即ち、石田大神」を大宝4年(704)2月に奉祀された社で、氏人の祖神であり、亦社家石井家の祖神であります。 宝亀11年(780)2月8日に第48代光仁天皇の勅を奉じた藤原永手が神殿を造営して、主祭神に譽田別尊、配祀神に石田大神(五十日足彦命)を奉斎されました。 貞観元年(859)7月14日に神祇大副の大中臣豊雄が勅使として奉幣された。 亦、弘安4年(1281)の元寇の国難と正応年中(1288~93)の異国降伏を御祈願に際して帝の勅を奉じて、奉幣の神事がありました。 弘治2年(1556)に朝倉義景が本殿を造営し、疋田城主の疋田景継が、同3年5月28日に阿弥陀仏像を奉納し、年々御供米50石を寄進されました。 元亀元年(1570)に織田信長と朝倉義景とが戦った時に罹災したが、天正12年(1584)に敦賀城主大谷刑部少輔吉隆が石燈籠一基を献納。 天正16年(1588)8月羽柴出羽守勝俊が幣帛を奉り、翌17年に大谷吉隆が太刀一口を奉納。 慶長3年(1598)に京極忠高が神殿を修造した。 寛永元年(1624)4月に福井城主松平秀康の代参多賀越中守が奉幣百疋を奉り、毎年御供米10石を寄進した。 慶安元年(1648)に後光明天皇から御紋章幕、提灯の御下賜があり、文政9年(1826)4月に青蓮院宮から御紋章提灯の下賜がありました。 その他に歴代の藩主や武将、庶民の崇敬が篤く、各種の奉納・奉祀がなされて来ました。 明治元年に、北越総督仁和寺宮、北陸鎮撫使高倉永祐、同副使四条降謌等の参拝がありました。 明治11年10月10日に明治天皇兵火が敦賀に車駕を駐められた時に、宮内卿徳大寺實則が幣帛料を奉って御代拝なさいました。 明治4年に小浜藩庁から藩社に列せられ、明治8年10月10日に敦賀県から郷社に列せられた。 明治41年4月26日に神饌幣帛料を供進される神社に指定された。 昭和12年8月18日に、県社に列せられた。 境内には杉・松・タモ・楓などが繁り、社殿壮麗に、神域は清浄に、氏子・崇敬者の尊敬奉賛の誠を捧げています。 昭和3年に昭和天皇の御大典記念事業として、本殿・末殿の屋根葺替。昭和4年に拝殿を改修し、昭和5年に雑庫を新築した。 今上陛下の御大典記念に拝殿・手水舎・社務所の改修工事を行った。
体験
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