観自在寺の基本情報
詳細情報
行き方
宇和島バス 宇和島・城辺・宿毛線 「平城札所前」下車 (0.2km) 39【延光寺】より (自家用車)約40分 約30km (徒歩)約8時間 約30km 41【龍光寺】より (自家用車)約1時間30分 約50km (徒歩)約13時間30分 約48km
文化財
伊予遍路道 観自在寺道(国の史跡) 山門(愛南町指定有形文化財) 芭蕉句碑、岡村松軒翁之墓所(愛南町指定史跡)
御由緒
愛媛県は「菩提の道場」。その最初の霊場で、一番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。寺があるこの町は、美しいリアス式海岸の宇和海に面した最南端で、海洋レジャーの基地、真珠の生産地としても知られる足摺宇和海国立公園の景観を存分に楽しむことができる。 縁起をひも解くと、弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806〜09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したとされている。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をなされた。 平城天皇はまた、勅額「平城山」を下賜し、次の嵯峨天皇(在位809〜23)とともに親しく行幸され、御朱印を下されて『一切経』と『大般若経』を奉納し、毎年勅使を遣わして護摩供の秘法を修された。こうしたことから、この地方を「御荘」と称し、また勅額の山号に因んで「平城」とも呼ぶようになっている。 寛永15年(1638)、京都・大覚寺の空性法親王が四国巡拝の折に宿泊され、「薬師院」の院号を授かっている。このころは七堂伽藍がそびえ、末寺48坊、寺領二千数百石という隆盛を誇っていたという。だが、火災によりすべての堂塔を焼失、その後は宇和島藩主・伊達家の祈願所として旧観の回復につとめ、法灯を守っている。
札所
四国八十八箇所第40番 南予七福神霊場第1番(弁財天)
観自在寺へのアクセス
行き方
宇和島バス 宇和島・城辺・宿毛線 「平城札所前」下車 (0.2km) 39【延光寺】より (自家用車)約40分 約30km (徒歩)約8時間 約30km 41【龍光寺】より (自家用車)約1時間30分 約50km (徒歩)約13時間30分 約48km