岩屋寺の基本情報
詳細情報
行き方
松山駅からJR四国バス久万高原線「落出行き」乗車、「久万中学校前」途中下車 伊予鉄南予バス「面河行き」に乗り替え、「岩屋寺」下車 44【大寶寺】より (自家用車)約20分 約13km (徒歩)約2時間30分 約9km 46【浄瑠璃寺】より (自家用車)約1時間 約35km (徒歩)約5時間 約17.5km
文化財
大師堂(重要文化財) 仁王門(久万高原町指定有形文化財) 岩屋(国の名勝)
御由緒
標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。 弘法大師がこの霊地を訪ねたのは弘仁6年とされている。そのころすでに土佐の女性が岩窟に籠るなどして、法華三昧を成就、空中を自在に飛行できる神通力を身につけ、法華仙人と称していたという。だが仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上した。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院の秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされた。 一遍上人(1239〜89)が鎌倉時代の中期にこの古刹で参籠・修行したことは、『一遍聖絵』にも描かれており、13世紀末ごろまでにはこれらの不動尊像をはじめ、護摩炉壇、仙人堂、49院の岩屋、33の霊窟などがそのまま残っていたと伝えられる。いつの頃からか、四十四番大寶寺の奥の院とされていたが、明治7年に第一世の住職が晋山した。だが、同31年(1898)に仁王門と虚空蔵堂をのこし諸史料ともども全山を焼失した。大正9年に本堂より一回り大きい大師堂を再建、その後、昭和2年に本堂、同9年に山門、27年鐘楼を復興、宿坊遍照閣は38年、逼割不動堂・白山権現堂は同53年にそれぞれ建立されている。大師堂は国指定重要文化財、寺域は国の名勝、県立自然公園の指定地でもある。
体験
写経・写仏御朱印重要文化財札所・七福神巡り除夜の鐘
岩屋寺へのアクセス
行き方
松山駅からJR四国バス久万高原線「落出行き」乗車、「久万中学校前」途中下車 伊予鉄南予バス「面河行き」に乗り替え、「岩屋寺」下車 44【大寶寺】より (自家用車)約20分 約13km (徒歩)約2時間30分 約9km 46【浄瑠璃寺】より (自家用車)約1時間 約35km (徒歩)約5時間 約17.5km