大宝寺の基本情報
詳細情報
行き方
ジェイアール四国バス 久万高原線「松山駅」 - 「久万中学校前」下車 (1.2km) 43【明石寺】より (自家用車)約2時間 約78km (徒歩)約20時間 約70km 45【岩屋寺】より (自家用車)約20分 約13km (徒歩)約2時間30分 約9km
文化財
三十三燈台(県指定有形文化財) 菅生山(県指定名勝) 金剛力士像、三十番神像、芭蕉塚、掘り出し観音、宝篋印塔(久万高原町指定有形文化財) ヒノキ、大杉、カエデの群生(久万高原町指定天然記念物)
御由緒
四十三番明石寺からの道のりは約80㎞、峠越えの難所がつづき、歩けば20時間を超す「遍路ころがし」の霊場。四国霊場八十八ヶ所のちょうど半分に当たり、「中札所」といわれる。四国山地に囲まれた標高579mに位置し、境内は老樹が林立し、幽寂な空気が漂う。 縁起は大和朝廷の時代まで遡る。百済から来朝した聖僧が、携えてきた十一面観音像をこの山中に安置していた。飛鳥時代になって大宝元年のこと、安芸(広島)からきた明神右京、隼人という兄弟の狩人が、菅草のなかにあった十一面観音像を見つけ、草庵を結んでこの尊像を祀った。ときの文武天皇(在位697〜707)はこの奏上を聞き、さっそく勅命を出して寺院を建立、元号にちなんで「大寶寺」と号し、創建された。弘法大師がこの地を訪れたのは、およそ120年後で弘仁13年(822)、密教を修法されて、四国霊場の中札所と定められ、これを機に天台宗だった宗派を真言宗に改めた。 仁平2年(1152)、全山を焼失。だが、直後の保元年間(1156〜59)に後白河天皇(在位1155〜58)が病気平癒を祈願して成就され、ここに伽藍を再建し、勅使を遣わして妹宮を住職に任じて勅願寺とした。このときに「菅生山」の勅額を賜り、七堂伽藍の僧堂を備え、盛時には山内に48坊を数えるほどであった。 その後「天正の兵火」で再び焼失、松山藩主の寄進で復興し、江戸中期には松平家の祈願所にもなったが、さらに明治7年には3度目の全焼、火災との苦闘を宿命にした。
大宝寺へのアクセス
行き方
ジェイアール四国バス 久万高原線「松山駅」 - 「久万中学校前」下車 (1.2km) 43【明石寺】より (自家用車)約2時間 約78km (徒歩)約20時間 約70km 45【岩屋寺】より (自家用車)約20分 約13km (徒歩)約2時間30分 約9km