三皇神社の基本情報
詳細情報
御祭神
《主》日本武尊,足仲彦尊,誉田尊,大鷦鷯尊,《配》多紀理毘売命,市寸島比売命,多紀津毘売命
御由緒
三皇神社は佐遠之宮(棹の宮)とも呼ばれ、伊予温故録によれば、景行天皇の皇子、日本武尊が筑紫の熊襲を平定の途次、各地の賊首を征討の際に、この森に仮泊されたと伝えられ、熊保野に崩御のとき、神霊が白鳥と化して天くだり、此の森に留まり給うたことにより、その遺跡に社殿を建立し、佐遠の森の皇太神と称えて崇敬奉ったと云う。古事記にも「即ち其の陵を白鳥の陵とぞいふ、然れども亦其の地より更に、天くだりて飛び行きましぬ」とある。 その後、貞観元年4月10日に京都平野大明神を奉遷、日本武尊を合祀し、三皇四社大明神と称して、山口郷の総鎮守、氏神として奉斎した。