八旛神社の基本情報
詳細情報
御由緒
当社は石清水八幡宮の御分霊を勧請した神社で、源平時代より河野家の信仰が厚く、源頼朝は別当円長に命じて平氏追討の祈祷をさせ、宝剣を奉納したという。 その後井於郷別名が石清水八幡宮の神領となって、善法寺家の禁裡である仙洞御所、今川家、関東将軍家等の御祈祷所になった。又、建武中興の際は足利尊氏より、石清水八幡宮の安居頭料所として寄進があり、武門武将の崇敬が篤く、社運も隆昌であったが、戦国時代となり神領が衰頽した。 天正年中、豊臣秀吉の四国征討で社殿、宝物など消失。元和元年神託によって毛利家が長州萩城下に当社を勧請し、伊予八幡と称した。その間、慶長5年には加藤嘉明の宝剣寄進があり、弘化2年に社殿消失、嘉永年間に再建した。