こくぶんじ

国分寺


愛媛県今治市国分4-1-33
7:00~17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

国分寺の基本情報



名称
国分寺
かな
こくぶんじ

詳細情報

名称
国分寺
かな
こくぶんじ
都道府県
愛媛
住所
愛媛県今治市国分4-1-33
行き方
伊予富田駅(2.1km) せとうちバス 桜井団地循環もしくは唐子台循環「国分寺」下車(0.2km) 58【仙遊寺】より (自家用車)約30分 約8km (徒歩)約1時間40分 約6.2km 60【横峰寺】より (自家用車)約1時間30分 約30km (徒歩)約10時間 約33km
公開時間
7:00~17:00
お手洗い
鐘の先
御朱印
あり
宗旨・宗派
真言律宗
山号
金光山(こんこうざん)
院号
最勝院(さいしょういん)
開山・開基
行基菩薩
創建時代
天平13年(741)
文化財
伊予国分寺塔跡(国の史跡) 紙本金地著色柳橋図、国分寺文書(県指定有形文化財) とうつばき(今治市指定天然記念物) 十二天画像 12幅、随求菩薩画像 1幅、弘法大師画像 1幅、不動明王画像 1幅、両界曼荼羅図 2幅、普賢菩薩画像 1幅、十六羅漢画像 1幅、十三仏画像 1幅、後西天皇宸筆 1巻、大般若経 402巻、綸旨院宣奉書等通直判物 1巻、霊乗上人言上状附綸旨庁宣等案 1巻:、坪付 1巻(今治市指定有形文化財)
御本尊
薬師瑠璃光如来
御由緒
伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺はいまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置等から推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。 国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納、また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納められている。 その後の伊予国分寺は、悲運な災禍の歴史に見舞われる。まず、天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に、元暦元年(1184)源平合戦の戦火による焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。 幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多い文化財が保存されている。
札所
四国八十八箇所59番 伊予府中十三石仏霊場7番薬師如来
体験
御朱印札所・七福神巡り

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