泰山寺の基本情報
詳細情報
行き方
今治駅 (2.5km) 今治駅よりせとうちバス鈍川温泉 木地ロ・葛谷行きまたは鈍川経由神子森行き「小泉」(0.7km) 55【南光坊】より (自家用車)約15分 約4km (徒歩)約50分 約3.1km 57【栄福寺】より (自家用車)約10分 約4km (徒歩)約50分 約3km
御由緒
泰山寺には、水難で人命を失う悪霊のたたりを鎮めた伝説が根強く残っている。 弘法大師がこの地を訪れたのは弘仁6年のころ。蒼社川という川がこの地方を流れており、毎年梅雨の季節になると氾濫して、田地や家屋を流し、人命を奪っていたため、村人たちは恐れ苦しみ、人取川といって悪霊のしわざと信じていた。この事情を聴いた大師は、村人たちと堤防を築いて、「土砂加持」の秘法を七座にわたり修法したところ、満願の日に延命地蔵菩薩を空中に感得し、治水祈願が成就したことを告げた。 大師は、この修法の地に「不忘の松」を植えて、感得した地蔵菩薩の尊像を彫造して本尊とし、堂舎を建てて「泰山寺」と名づけた。この寺名は、『延命地蔵経』の十大願の第一「女人泰産」からとったと伝えられる。「泰山」にはまた、寺があった裏山の金輪山を死霊が集まる泰山になぞらえ、亡者の安息を祈り、死霊を救済する意味もあるという。 寺はその後、淳和天皇(在位823〜33)の勅願所となり、七堂伽藍を備えて、塔頭に地蔵坊、不動坊など10坊を構えるほどの巨刹として栄えた。だが度重なる兵火により寺の規模は縮小し、金輪山の山頂にあった境内が麓の現在地、大師お手植えの「不忘の松」があったところに移ったと伝えられている。 泰山寺の右約300m「塔の元」という場所は、鎌倉時代の学僧で、『八宗綱要』を撰述した凝然(1240〜1321)が誕生した地とされている。
泰山寺へのアクセス
行き方
今治駅 (2.5km) 今治駅よりせとうちバス鈍川温泉 木地ロ・葛谷行きまたは鈍川経由神子森行き「小泉」(0.7km) 55【南光坊】より (自家用車)約15分 約4km (徒歩)約50分 約3.1km 57【栄福寺】より (自家用車)約10分 約4km (徒歩)約50分 約3km