えいふくじ

栄福寺


愛媛県今治市玉川町八幡甲200
7:00~17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

栄福寺の基本情報



名称
栄福寺
かな
えいふくじ

詳細情報

名称
栄福寺
かな
えいふくじ
都道府県
愛媛
住所
愛媛県今治市玉川町八幡甲200
行き方
今治駅よりせとうちバス 松山市駅行き、木地口・葛谷行き、鈍川経由神子森行き「大須木」下車(1.4km) 56【泰山寺】より (自家用車)約10分 約4km (徒歩)約50分 約3km 58【仙遊寺】より (自家用車)約20分 約4km (徒歩)約50分 約2.5km
公開時間
7:00~17:00
お手洗い
駐車場にあり
御朱印
あり
宗旨・宗派
高野山真言宗
山号
府頭山(ふとうざん)
院号
無量寿院(むりょうじゅいん)
開山・開基
弘法大師
創建時代
弘仁年間(810〜824)
御本尊
阿弥陀如来
御由緒
瀬戸内海沿岸のこの近海では、海難事故が絶えなかった。栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全、福寿増長の祈願寺として往古から信仰されている。 縁起によると、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間であった。内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法された。その満願の日、風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂った。この阿弥陀如来の尊像を府頭山頂で堂宇を建て、本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされた。 栄福寺には、神仏混合の歴史もあり、その由来も平安時代に遡る。貞観元年(859)、大和・大安寺の行教上人が宇佐八幡(大分)の霊告をうけて、その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するため、近海を航行中に暴風雨に遭い、この地に漂着した。ところが府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあることから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられる。この八幡宮は「伊予の石清水八幡宮」とも呼ばれ、「四国五十七番」と仲良く寺社名を刻んだ石塔の道標が立っている。 明治新政府の神仏分離令により、寺は旧地から山の中腹になる現在地に移転し、また神社と寺はそれぞれ独立した。現在の大師堂は、山頂にあった堂舎を移築した由緒がある。また、栄福寺が所蔵している江戸中期の手書きの納経帳にも「別当 栄福寺」の墨書きがあり、また同じく江戸時代の版木で押された納経帳でも「別当 栄福寺」の名がみられ、納経を明治維新からではなく、古来より行っていたことがわかる。
札所
四国八十八箇所第57番
体験
御朱印お守り札所・七福神巡り

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