仙遊寺の基本情報
詳細情報
行き方
57【栄福寺】より (自家用車)約20分 約4km (徒歩)約50分 約2.5km 59【国分寺】より (自家用車)約30分 約8km (徒歩)約1時間40分 約6.2km
文化財
五輪塔(今治市指定有形文化財) 八幡山・犬塚池・作礼山(今治市指定名勝)
御由緒
境内は、山号になっている作礼山の山頂近い標高300mの高台にあり、今治の市街地や四国一高い今治国際ホテルは眼下に望める。その先には瀬戸内海に浮かぶ島々、さらには平成11年に開通した「しまなみ海道」も一望できる眺望豊かな地にある。 創建は天智天皇(在位668〜71)の勅願により、伊予の国主・越智守興公が堂宇を建立、本尊の千手観音菩薩像は天皇の念持仏として、海から上がってきた竜女が一刀三礼しながら彫って安置したとされる。このことから「作礼山」が山号となり、竜宮から届けられたという伝説もある。 さらに仙遊寺には、阿坊仙人という僧が40年にわたって籠り、七堂伽藍を整えるなどをしたが、養老2年(718)に忽然と姿を消してしまったという伝説が残っている。寺名はその阿坊仙人に由来している。 弘法大師が四国霊場開創の折にこの寺で修法をされたとき、病に苦しむ人々を救済しようと井戸を掘り、また荒廃していた七堂伽藍を修復して再興、寺運は興隆した。この井戸は旧参道の脇に残り、「お加持の井戸」として多くの諸病を救ったと伝えられ、信仰されている。 江戸時代には荒廃して本堂と12社権現だけとなっていたが、明治時代の初期、高僧・宥蓮上人が山主となり、多くの信者とともに再興に尽力した。宥蓮上人は明治4年、日本最後の即身成仏として入定している。境内には、上人を供養した五輪塔がある。
体験
坐禅(座禅)写経・写仏祈祷おみくじお祓い結婚式仏像傾聴御朱印宿坊お守り祭り札所・七福神巡り除夜の鐘伝説法話
仙遊寺へのアクセス
行き方
57【栄福寺】より (自家用車)約20分 約4km (徒歩)約50分 約2.5km 59【国分寺】より (自家用車)約30分 約8km (徒歩)約1時間40分 約6.2km