つなしきてんまんじんじゃ

綱敷天満神社


愛媛県今治市桜井6丁目2-1
社務所:08:00〜17:00
縁結び・恋愛成就
学問の神様・合格祈願

綱敷天満神社の基本情報



名称
綱敷天満神社
かな
つなしきてんまんじんじゃ

詳細情報

名称
綱敷天満神社
かな
つなしきてんまんじんじゃ
都道府県
愛媛
住所
愛媛県今治市桜井6丁目2-1
アクセス
交通アクセス[編集] JR予讃線 伊予桜井駅から北東へ1.1km。 せとうちバス 志々満原バス停にて下車。
行き方
・JR予讃線 伊予桜井駅から北東へ1.1km ・せとうちバス 志々満原バス停にて下車。
参拝時間
20分
公開時間
社務所:08:00〜17:00
参拝料
なし
お手洗い
あり
御朱印
あり
本殿
入母屋造
歴史
歴史[編集] 東の鳥居(海側) 菅原道真が大宰府へ左遷される途中、燧灘の壬生川沖で嵐に遭ったが、現宮司の祖先である広川修善と里人に助けられて志島東端に漂着した。急なことで敷物が無く、漁網を敷いて敷物の代わりとしたことから「綱敷」の社名が付いたとされる。鮮魚を里人に献上されるなどの厚意に感じた道真は梶柄に自像を刻み「私は菅原道真である。もし私が無事帰洛できたなら、この像を証拠として都を訪ねなさい。私が配地で没したと耳にしたなら、この像を素波神(そばがみ)と称し祀るように」と述べた。 道真は大宰府にて没し、素波神は当地南端の祠に祀られることとなった。時は下って享保5年(1720年)6月、...Wikipediaで続きを読む
御祭神
菅原道真
御由緒
菅原道真公が筑紫へ下向の時風波の難により当地へ流着され、郡司越智息利ら里人と共に道真公の至誠に接し、後に片身の神像を素波神と称して奉祀した。伊予旧記によれば天慶5年9月25日の創建と伝えられている。 元弘3年9月25日国主伊予守越智通村より神殿の再建と神田の奉納があり、河野一門の崇敬篤く、天慶5年素波神を綱敷天満宮と改称した。 正徳2年神仏分離により荒神社に合祀したが、享保5年6月28日松山藩主松平隠岐守により現在の地に社殿を建立した。
御利益
学問の神様・合格祈願
引用元情報
「綱敷天満神社 (今治市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B6%B1%E6%95%B7%E5%A4%A9%E6%BA%80%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E4%BB%8A%E6%B2%BB%E5%B8%82)&oldid=88658498
概要
綱敷天満神社(つなしきてんまんじんじゃ)は、愛媛県今治市に鎮座する神社。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説

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