三津厳島神社の基本情報
詳細情報
アクセス
アクセス[編集] 伊予鉄道高浜線三津駅下車、徒歩5分。
行き方
伊予鉄道高浜線・三津駅 ~徒歩5分 JR予讃線・三津浜駅 ~徒歩15分 伊予鉄バス・三津厳島神社前駅~徒歩1分 松山空港 ~車で約12分 国道437号禊橋交差点を西側に 橋を渡るように曲がるとすぐ右手側です ※一部ナビにて神社裏側に案内されることがあります ※裏側からは入れませんので、お気を付けください。
歴史
由緒[編集] 崇峻天皇の時代、筑紫国の宗像大社の神を勧請 文武天皇の時代、東山の地(現在の古三津地区新屋敷方面)に神殿を新築 神亀元年(724年)、安芸国の厳島神社の神を勧請 応仁元年(1467年)、河野通春が神殿を造営 慶長7年(1602年)、現在地へ奉遷 明治4年(1871年)、大国主命、小彦名命、塩土神、崇徳天皇、事代主命、蛭子命、保食神を合祀。 明治37年(1904年)、社殿を改築 明治40年(1907年)、郷社に列する
御祭神
《主》田心姫命,市杵島姫命,湍津姫命, 《配》明治4年に大国主命(おおくにぬしのみこと)、 小彦名命(すくなひこなのみこと)、 塩土神(しおづちのかみ)、 崇徳天皇(航海守護、造船の神)、 事代主命(ことしろぬしのみこと)、 蛭子命(ひるこのみこと) 恵比寿様=商売繁盛、漁業の神)、 保食神(うけもちのかみ 五穀の神)を合祀しています。 境内に鎮座する末社に伊予七福神の寿老神をお祀りしています。
御由緒
古墳時代 6世紀後半に現在の宗像大社の神様を勧請。 飛鳥時代 700年頃に東山の地(今の古三津新屋敷方面)に神殿を新築。 奈良時代 神亀元年(724年)安芸の厳島の神を勧請。 平安時代 天慶4年(941年)藤原純友を追討しに来た 橘 遠保(たちばなのとおやす)河野 好方、 野田 新藤次、社殿を修理し願文を納める。 鎌倉時代 承久2年(1220年)伊予水軍の指揮者河野通信心願をこめる。 室町時代 観応2年(1351年)足利尊氏が難を避けて三津に寄り、 久万の水田2町5反を奉る。 関ヶ原の戦いに乗じて起こった刈谷畑の戦にて社殿が消失し、 慶長7年(1602年)に現在地へ奉遷。 江戸時代 参勤交代の際に歴代松山藩主は当社にお参りして幣帛を奉った。 道中の安全、藩内平和、武運長久の祈願をし、三津浜から船で江戸へと向かった。
引用元情報
「厳島神社 (松山市)」『ウィキペディア日本語版』。この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%8E%B3%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E5%B8%82)&oldid=78362322
概要
厳島神社(いつくしまじんじゃ)とは愛媛県松山市神田町にある神社である。神紋は、三盛亀甲花菱。 三津浜地区にあることから三津厳島神社と呼ばれる。旧社格は郷社。社伝では、崇峻天皇の時代に筑紫国宗像から宗像三女神を勧請し、その後の時代に広島の厳島神社から再勧請とある。
行事
年中行事[編集] 日付 祭祀 1月1日 歳旦祭 6月30日 夏越祭 7月17日 十七夜祭 10月5日 宵宮祭 10月6日 例大祭 10月7日 神幸祭 10月6日に例大祭が行われ、10月7日の神幸祭では、三津の南北と古三津の南北計4体によって喧嘩神輿(鉢合わせ)が行われる。厳島神社の鉢合せは、神輿の担き棒を正面からぶつけるものである。神幸祭での神輿の宮出しは松山地区の秋祭りでは一番早い午前1時から行われるため「暁(あかつき)の宮出し」と呼ばれている。神輿に御神体を移す御霊遷しの際には、神が床を踏ま...Wikipediaで続きを読む
札所
伊予七福神霊場 寿老神をお祀りしています。 熟田津三社詣り 祈願玉をお分かちしています。
体験
祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り札所・七福神巡り夏詣
三津厳島神社へのアクセス
アクセス
アクセス[編集] 伊予鉄道高浜線三津駅下車、徒歩5分。
行き方
伊予鉄道高浜線・三津駅 ~徒歩5分 JR予讃線・三津浜駅 ~徒歩15分 伊予鉄バス・三津厳島神社前駅~徒歩1分 松山空港 ~車で約12分 国道437号禊橋交差点を西側に 橋を渡るように曲がるとすぐ右手側です ※一部ナビにて神社裏側に案内されることがあります ※裏側からは入れませんので、お気を付けください。