横峰寺の基本情報
詳細情報
行き方
59【国分寺】より (自家用車)約1時間30分 約30km (徒歩)約10時間 約33km 61【香園寺】より (自家用車)約35分 約10km (徒歩)約3時間 約10km
文化財
伊予遍路道 横峰寺道(国の史跡) 木造大日如来坐像、金銅蔵王権現御正体(県指定有形文化財)
御由緒
西日本の最高峰・石鎚山(標高1982m)は、山岳信仰の霊地であり、修験道の道場でもある。弘法大師・空海が24歳の若いときの著書『三教指帰』の中で「或時は石峯に跨って粮を絶ち(断食)轗軻(苦行練行)たり」と、この山で修行した様子を記している。境内は石鎚山の山系の北側中腹(750m)にある。四国霊場のうちでは3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所であった。昭和59年に林道が完成して、現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで車で行き参拝できる。ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となる。大型バスは通行が不可である。 縁起によると、白雉2年、役行者が石鎚山の星ヶ森で修行をしていると、山頂付近に蔵王権現が現れたという。その姿を石楠花の木に彫り、小堂を建てて安置したのが創建とされている。また、延暦年間(782〜806)には石仙仙人という行者が住んでおり、桓武天皇(在位781〜806)の脳病平癒を成就したことから、仙人は菩薩の称号を賜ったと伝えられる。 弘法大師がこの寺で厄除けと開運祈願の星供養の修法をしたのは大同年間(806〜10)とされ、このときやはり蔵王権現が現れたのを感得、堂宇を整備して霊場とした。以来、神仏習合の別当寺として栄えているが、明治新政府の廃仏毀釈令により寺は廃寺となった。明治42年になって、檀信徒の協力によりようやく復興している。
札所
四国八十八箇所60番 四国 (東予) 七福神・大黒天
横峰寺へのアクセス
行き方
59【国分寺】より (自家用車)約1時間30分 約30km (徒歩)約10時間 約33km 61【香園寺】より (自家用車)約35分 約10km (徒歩)約3時間 約10km