松山神社の基本情報
詳細情報
御由緒
元和4年(1618年)松山城主加藤嘉明が湯築八幡宮の境内に小祠を建て、徳川家康公の神霊を祭祀し、その後、明和2年(1765年)に松山藩主松平定静が祝谷の田高の丘(現在地)に社殿を造営奉遷し「東照宮」と称え、城下の鬼門鎮護の神として崇敬した。 また、延喜元年(901年)菅原道真が筑紫に左遷されていく途中、祝谷山崎の丘に立ち寄りて温泉に浴したという故事により、里人が太宰府天満宮より旧跡の山崎の丘に神霊を勧請し「天満神社」として崇敬していた。 明治43年12月に東照宮に天満神社を合祀して、「松山神社」と改称した。現在の社殿は元治2年(1865年)に造営されたものであり、典型的な権現造である。